北風と太陽は何故コートを脱がせたかったのか?
先週、会社で思考法の教育を受けまして、グループディスカッションで
イソップ童話の「北風と太陽」を論理的に分析せよとのお題を受けました。
優等生の社員は、「厳しく当たれば人は反発する。しかし、優しく接すれば、
人は心を開く」とお決まりのロジックを展開します。
しかし、私はそこで待ったをかけました。太陽は、熱線で旅人を暑がらせて
コートを脱がせた。これって、優しさなのか? 暴力の一種じゃないの?
ここから議論は紛糾。
そもそも、この賭け自体が間違っているのでは無いか?
旅人のコートを脱がせるなんて、大きなお世話だろ? 迷惑だろ?
ここで私は、肝心なことが抜け落ちていることを指摘。
「コートを脱がせる手段ばかり議論しているが、コートを脱がせる目的が
何なのか分からなければ、的外れな議論となる。そもそもなんで脱がせるの?」
ここで皆、黙ってしまいました。
しかし、ある人が画期的な理由を思いつきます。
「旅人は、きっと女性だったんだ!だったら脱がせたくなるのが男の下心だろ」
なるほど、スケベ心が目的だったのか?なんて奴らだ!
ここで議論はタイムアップ。
先生の解説は、北風は愚か者の象徴。太陽は賢者の象徴。コートの外見だけで
判断した北風に対し、何故コートを着ているのか(寒いから)、内面まで判断した
太陽の方が賢かった。
しかし、北風は愚か者で、太陽は賢者は理解できたが、そもそもこの賭けに乗った
こと自体が北風の愚かさだったのでは? 風でコートを飛ばされた人なんて聞いたこと
無いぞ。(洗濯物ならいざ知らず) 汚い太陽の策略に、まんまと引っかかったことが
愚かだったのでは? 太陽は優しさの象徴のようなお話だが、騙されてはいけない。
汚い野郎、これが太陽の正体だ。